一つの部屋さえあれば




はじめて上京したときに借りた家は、ワンルームの小さな部屋でした。
間取りの意味もよく分からないまま不動産屋を訪れ、勧められた部屋です。候補を挙げてもらった3つの中で一番狭い部屋でした。
この手の仲介は、一番最後に案内したところが勝負なのだと後で知りました。私も例に漏れずそこに決めましたから、正しい手法なのでしょう。

世田谷区にある大通りに面したマンションで、車通りが多く飽きない景色でした。
大の字になって寝転んだら両端の壁に手が届きそうなくらい狭く、ベッドを置いたら他には何も置けなくなるほどでした。やむなく二段ベッドにして、下に机を置き、服をかけました。それでも高さはどうしようもなく、勢いよく起き上がったときに天井に頭をぶつけたこともありました。当然、室内に洗濯機を置くスペースもなく、景色の良いベランダは早々に明け渡すこととなりました。

元々自炊には積極的ではなかったのて、ラーメンを茹でるための小さなIHを買いました。しかし、IHを置くと食器を置く場所がありませんでした。
家賃は片手では収まりません。東京は怖いところです。


それでも、その部屋で過ごした日々は最高に楽しいものでした。

朝一人で起きられるか、ごみの分別は合っているか、鍵はちゃんと締めたか。不安を抱え、調べ、自分で判断する。生活の一つひとつが、真の自由への入り口に感じました。夕飯はスーパーに入ってから食べたいものを買い、近所にある銭湯の灰皿で煙草をふかし、においが取れるまで歩いてから帰りました。下北沢まで歩いて行けると知ってからは、用もなく歩きました。結局、喫茶店でムカムカするまで煙草をふかして帰るばかりでした。帰宅ラッシュを横目に、レイトショーへ夜な夜な出かけました。映画館には一人でやってきた人が何人もいて、それはとても居心地がよく、帰り道も実に爽やかな気分でした。

小田急線はとても混んでいて、いつもの各駅停車も横を通り過ぎる急行も、人でいっぱいでした。何やら賑やかだなと思ったら、路地裏に縁日の屋台が出ていて、東京にもお祭りがあるのだなと思ったものでした。憧れた地にも日常があることが少し不思議でした。

その不器用で行き当たりばったりの輝かしい日々を忘れることはないでしょう。頭をぶつける心配やライターのない快適な生活を手に入れた今でも、愛おしく思います。自ら望み、行動して手に入れた自由と比べれば、部屋の大きさは些細なものです。そして、もしもあの頃に戻ったなら、また同じワンルームを借りることでしょう。

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東京で暮らす会社員です。
都市や交通について気ままに発信しています。
それなりにリアルかと思います。

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