【エッセイ69】想いの伝送量





現代社会は、もはやSNSの存在が大前提です。
試験問題のようで陳腐な入り方ですが、好き嫌いで判断することができなくなってきたあたり、いよいよ危機感を覚えます。

筆者もブログを機に、自身のアカウントを持ちました。専らブログの宣伝用で、喜怒哀楽のある投稿をすることはありません。もっと言えば、宣伝するほど中身のあるブログでもないので、社会を動かしているツールとはどのようなものなのか、そこで何が起きているのか、それを知る意味合いがほとんどです。

開設当初から宣伝用と割り切っていたわけではなく、はじめは自分なりに使いこなしてみようと試みました。見よう見まねでやればすぐに慣れると思ったのですが、筆者にとっては作文やレポートよりも難しいものでした。

短文で喜怒哀楽を伝える、ということがどうしても筆者には出来なかったのです。

だらだらと話の長い大人がいます(筆者も含まれます)。
一応弁明をすると、きちんと相手に話や想いが伝わっているのだろうが、という不安の裏返しだと思っています。

今の若者(定義はお任せします)のすごいところは、楽しいことを楽しい、つらいことをつらいと簡潔に伝えていることです。
誤解を与えたり歪曲されてしまうリスクも増えますが、経緯や詳細をバッサリと省くことができます。
皮肉でも何でもなく、これは才能だと思います。

若者に対して「主語がない」「言葉が足りない」と感じている大人もいるでしょう。
しかし、その世代ではその情報量で十分通じているのです。人柄や話の流れ、もっと言えば「なんとなく」を感じ取っているのです。

こちらから講義や解説をしているときに「話聞いてないな」と思うこともあるかもしれません。
それも、若者に忍耐力がないのではなく、早い段階で「要はこういうことを言いたいのだな」と理解しているのかもしれません。
仮にこちらの言いたいことが正しく伝わっていなくても、一度持った理解や意識を塗り替えるのは困難です。
内容や質の前に、まずは話し方やスタイルを互いに合わせる必要があるのだろうと思っています。


SNSに話を戻すと、少ない情報量のやり取りに慣れている若者にとっては、一言二言で投稿するスタイルに
やりづらさを感じることは少ないのかもしれません。
しかし、勇気のない筆者にとって、一言二言というのは実に高いハードルです。
信じ難いかもしれませんが、数十文字の短文よりも、原稿用紙何枚分の長文を打つ方が気楽な人間もいるのです。

どの世代、どの考え方が偉いということはありません。
みんなちがって、みんないい、です。
しかしその詩も、生きていればこそです。

現代社会は、もはやSNSの存在が大前提です。

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東京で暮らす会社員です。
都市や交通について気ままに発信しています。
それなりにリアルかと思います。

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